>> EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

THE HONDELLS/LITTLE HONDA

THE HONDELLS/LITTLE HONDA
用語解説P12/リトル・ホンダ(LITTLE HONDA)
<1958 年8 月に発売されたホンダ・スーパーカブC100 はそれまでのバイクの常識を覆す性能とデザインで、1961 年2 月には生産台数累計100 万台となる大ヒット作となった。>の解説補足


映画「The Wild One」でMARLON BRANDが演じたバイカーのイメージは強烈でした。その結果アメリカでは1950年代末にモーターサイクル・ギャング映画が多く制作され、レザー・ジャケットを着たアウトローのイメージと重なり、バイクは一般市民的には嫌悪すべき対象として捉えられるほどでした。1964年の映画「Beach Party」でもERIC VON ZIPPER率いるTHE RATSがそんなステレオ・タイプのモーターサイクル・ギャングとして描かれています。

rats

Promotion Photo From 「Beach Party」

そのようななか、1959年にスーパーカブC100を開発した日本のメーカー、ホンダがアメリカに進出、アメリカ・ホンダ・モータースをロサンゼルスに設立します。日本国内でのカブの大ヒットに後押しされ、250cc以下のバイクがほとんどないというアメリカ市場を狙っての進出でした。最初の3か月は50台が売れただけでしたが、レジャー用や農園管理用にブロックタイヤとリアダブルスプロケットを装備した改良型のCA100Tトレールを発売、スポーツ用品店や釣り具店で取り扱いを始めたころから売上が伸びだします。女性ユーザーをターゲットにしたスタートしやすいセルモーター付きのC102の販売や、245ドルという安さ、リッター90kmという燃費、メンテナンス不要が評判を呼び、勢いづいたホンダは広告代理店グレイ社によるキャンペーン「You Meet The Nicest People On A Honda」を西部11州で打ち出します。これにより1963年は84000台、1964年は268000台を販売、全米バイク市場の70%に達する勢いでした。90ccのホンダ90(C200)、スポーツタイプの50cc(CA110)などもあり、日本と違い50ccでもタンデムシート装備だったことからティーンがドライブを楽しんだり、改造してちょっとしたレースを楽しむにも最適でした。革ジャケットにエンジニア・ブーツといったハードな服装でなく、スニーカーにTシャツで乗れるカジュアルなスタイルがバイクに対するイメージを大きく塗り替えていったのです。日本製バイクはスポーティで洗練されたイメージと捉えられたのです。

scramblers

THE SCRAMBLERS//Little Honda(Wincote W 9048)1964
(THE WOOFERS//Dragsville「Drag City」(Wincote W 9011)1964.4収録の「Little Deuce Coupe」を「Little Honda」「GTO」に差し替えて別タイトル、別バンド名でリリースされたもの。HONDA 50がジャケットに使われている。)

BRIAN WILSONがそんなホンダ・バイクを題材にして映画「The Girls On The Beach」用に書いた「Little Honda」をスタジオでGARY USHERに披露したとき、USHERはヒットを直感します。BRIANにその曲をシングル・カットする気がないと知り、USHERはNICK VENETとすぐにバイクをテーマにしたアルバムの制作に取りかかります。1964年7月27日にGLEN CAMPBELL(G)、AL DELORY(Key)、TOMMY TEDESCO(G)に加えDICK BURNS(B)、RICHIE PODOLOR(G)、BILL COOPER(G)、WAYNE EDWARDS(D)というGARY USHERの"TROOPS"のメンバー、そしてリード・ヴォーカリストとしてCHUCK GIRARD、コーラスにJOE KELLYを起用して「Little Honda」を中心に11曲が録音されました。CAPITOLを辞めてMERCURYに移っていたVENETのもとで、9月1日にMERCURYから「Little Honda」のシングルがTHE HONDELLSの名義で発売されます。
2週間後に発売されたTHE HONDELLSのアルバム「Go Little Honda」には前記11曲のほかにMIKE CURB制作によるインスト「Rip's Bike」も収録されています。この「Rip's Bike」はRICHIE PODOLOR、BILL COOPER、DAVIE ALLAN、LARRY BROWNという別のレコーディング・メンバーによるもので、1963年5月にリリースされていたTHE HEYBURNERSのシングル曲「Bird Walk」そのものでした。この曲の収録について、USHERは、CURBはVENETと組んで働いていたので、アルバム制作に関わった証明として入れただけだ、と発言しています。

golittlehonda

THE HONDELLS//Go Little Honda (Mercury MG20940/SR 60940)1964.9
アルバム・ジャケットでHONDA 90に乗っているのは"RITCHIE BURN"こと DICK BURNSで、後ろの3人はWAYNE EDWARDSとEDWARDSのただの高校時代の友人DAVE HAGLEN、撮影に来れなくなったRANDY THOMASの替わりに呼ばれたBURNSの友人、バンク・オブ・アメリカで働いていたTERRY SOTOでした。

hondells

THE HONDELLS//The Hondells (Mercury MG20982/SR 60982)1965.1

セカンド・アルバムのジャケットに写っているのはツアー用THE HONDELLSでこちらは全員ミュージシャン、RANDY THOMAS、DICK BURNS、WAYNE EDWARDS、ANDY ANDREWSです。ツアーに出たシカゴのMERCURYのオフィスの前で撮影、しかしANDREWSはすぐに辞め、ギタリストはJERRY LEMIRE、JIM WEISER、JIM WEST、AL FERGUSONと替わっていきます。このバイクはHONDA 250 Scrambler CL72。シングルクレードル型フレームでつや消しのタンクが印象的です。  

ホンダは1961年のT.T.レース(モーターサイクルの最も代表的な国際レース)で125ccと250ccクラスの両方で1位から5位独占という驚異的な成績をあげたため、1960年に発売されたロードレーサー・タイプのドリームスーパースポーツCB72は日本国内で人気車となっていました。福岡の板付基地でおこなわれていたドラッグレースでヨシムラ・コンペティションがチューンアップしたCB72は当時主流だったトライアンフやノートンとのレースでも圧倒的な速さを誇り、帰国した米兵たちによって持ち込まれたヨシムラ・ホンダCB72はアメリカのレース場で話題となってゆきます。
しかし、当時の日本では米軍基地など特殊な例を除いてロードレースをおこなう施設がほとんどありませんでした。多くのレーサーにとってはちょっとした改造で参加できるオフロードレースのほうが身近だったため、各メーカーからロードスポーツ車をオフロード用に改造したスクランブラーが発売されていました。CL72はCB72のオフロードレース用として1962年に発売、フレームからオフロード用に設計しなおしたCL72は人気がありました。アメリカもどこでもコースを簡単に作れるところからオフロードレース(モトクロス)が盛んでした。トライアンフ・ボンネビルT120(650cc)を筆頭としたイギリス車がメインだったアメリカのオフロード・レース・シーンでも、CL72をはじめとする日本製スクランブラーは性能と価格から注目されだします。

kickstands

THE KICKSTANDS//Black Boots And Bikes(Capitol T-2078)1964.5

そんなオフロードレースに熱中していたセッション・ギタリストがJERRY COLEでした。COLEは1963年からモトクロスを始め10台のバイクを所有、ホットロッド・ブームに便乗してモーターサイクル・レースをテーマにした曲を作ります。JERRY COLEはGREN CASS、GARY USHERとともにスタジオ・ミュージシャンを使い1964年1月、CAPITOLで「Black Boots And Bikes」アルバムのセッションをおこないました。この企画が誰の発案だったのかは不明ですが、USHERはROGER CHRISTIANと共作したヴォーカル・ナンバーをプロデュース、COLEはCASSとの共作したインスト5曲をプロデュースしており、この中に初めてホンダの名前がタイトルとなった曲「Haulin' Honda」が含まれていました。このアルバムはTHE KICKSTANDS名義で発売されます。

geecees

THE GEE CEE'S//Buzzsaw Twist(Crest 45-1088)1962

champs

THE CHAMPS//Cactus Juice(Challenge 9199)1963


ウィスコンシン、グリーンベイ出身のJERRY COLEは、20歳で1960年THE CHAMPSのツアー・メンバーとなります。JIMMY SEALS、 DASH CROFT、GLEN CAMPBELL、BOB MORRISとともにTHE CHAMPSとして3年間活動、1963年の初め、USHER作の「Cactus Juice」を録音したことからCAMPBELLとともにロサンゼルスのスタジオ・シーンで働き始めました。COLEは1961年にCAMPBELLとTHE GEE CEE'S名義で「Buzzsaw Twist」というシングルもリリースしています。COLEはCROWNレーベルでセッションマンとして400曲近く録音し、それらはTHE BLASTERS、THE HOT-RODDERS、THE SCRAMBLERSなど様々な名義で発売されました。

セッション・マンとして活動するうちにCOLEはCAMPBELLとともにTHE WRECKING CREWのメンバーとなります。1963年12月にはCAPITOLでRAY POHLMAN、PLAS JOHNSON、RAY JOHNSON、DON RANDI、DON DEXTER、HAL BRAINとともにJERRY COLE AND THE SPACEMEN名義のリーダー・アルバム「Outer Surf」を録音、続いて制作したのが「Black Boots And Bikes」でした。この後COLEはCASSとともにJERRY CAPEHARTのプロデュースでTHE HORNETS名義の「Motorcycle U.S.A.」、「Big Drag Boats U.S.A.」、THE RISERS名義の「She's A Bad Motorcycle」のアルバムを録音します。

motorcycleUSA

THE HORNETS//Motorcycle U.S.A.(Liberty LRP-3348)

「Motorcycle U.S.A.」のジャケットを飾ったのはアスコットパーク・レース場でのレース中のCOLEの写真で、IVAN NAGYによって撮影され、このときのレースの写真は「The Sound Of The Big Irons」(Liberty LRP-3362)にも使われています。またこのアルバムに使われたのもTHE HORNETSと同じセッションの録音でした。COLEとCAPEHARTによりレースのバイク音が収録されています。これらのセッションの録音メンバーはウィスコンシン時代の仲間、CASSとTOM GEBHEIMがヴォーカル、CASSの弟NORM(g)に加えてRAY POHLMAN(b)、DON DEXTER(ds)、AL CASEY(g)とCOLEでした。「She's A Bad Motorcycle」のセッションはヴォーカルものを中心としており、COLE-CASS、GEBHEIM、CAPEHART、JOHNSON-COLE- GEBHEIM作の曲が収録されていましたがタイトル曲の「She's A Bad Motorcycle」はシカゴのTHE CRESTONESのカヴァーでした。この曲はシカゴWLSで5月に11位となっており全米チャートでも135位となっていたことからかCAPEHARTによってカヴァーが提案されましたが、録音するまでメンバーは誰も聴いたことがなかったそうです。

THE CRESTONES はシカゴ出身のJERRY ZUKOWSKI(JERRY ZEE)(d,vo)、PAUL SAMARIO(PAUL MARIO)(g)、RICHARD MACK(DICK JAMES)(g,b,vo)のトリオで、「She's A Bad Motorcycle」はZEE作でリード・ヴォーカルもとっています。THE CRESTONESの写真を見るとMACKはベースとギターのダブルネックを使っていたようです。

badmotorcycle

THE CRESTONES//She's A Bad Motorcycle(Markie 117) 1964

chopper

THE CRESTONES//The Chopper(Markie 127) 1964

She's A Bad Motorcycle / Grasshopper Dance (Markie 117) 1964
I've Had It / Little Girl Of Mine (Markie 123) 1964
The Chopper / Scrambled Eggs (Markie 127) 1964
The Boomerang-Part 1 & 2 (Markie 131) 1965
My Girl / The Chopper (USA 835) 1965

上記5枚のシングルをリリース。1965年にTV出演したとのことですが映像は残っていないのでしょうか。

risers

THE RISERS// She's A Bad Motorcycle(Imperial LP 9269/12269)1964.6

さて、THE RISERSのジャケットに写っているバイクはCOLEの所有していたHONDA 305 DREAMとして知られるSuperhawk CB77。CB72の305ccヴァージョンでしたが性能と信頼性の高さでイギリス車と肩を並べ、1960年代後半のレースにおける日本車人気のきっかけとなったバイクでした。もちろん「305 Dream」という曲が収録されています。女性モデルは当時CAPEHARTが付き合っていたKATHY MORAND。裏ジャケットにメンバーの写真がありますがCOLE、CASS、GEBHEIMとBOB ANDRE、ERIC DAEZで、ANDREとDAEZはCOLEのバイク仲間でミュージシャンではありませんでした。(おそらくジャケットの3台のうち2台のバイクに乗ってきたのでしょう。)同じホンダといってもBRIAN WILSONの「Little Honda」や「My Buddy Seat」とCOLEの「She's A Bad Motorcycle」はだいぶイメージが違いますが、当時は同じ「Little Honda」というイメージだったのでしょうか? THE CRESTONESとなれば最近のロカビリー・シーンでの定番曲のイメージもあり日本車は全然思い浮びませんが。(JM)

tonyharris

TONY HARRIS WITH THE WOODIES//Go Go Little Scrambler(Triumph TR60)1965.5

captivations

THE CAPTIVATIONS//Red Hot Scrambler - Go!(Garpax 45-44179)1964.4

eliminators

THE ELIMINATORS//Liverpool, Dragsters, Cycles And Surfing(Liberty LRP3365)1964.5

fq5

THE FABULOUS QUIET FIVE//Red Hot Scramblers - Go(Casa Grande 8462)

RICHARD DELVY制作のTONY HARRIS WITH THE WOODIES「Go Go Little Scrambler」は歌詞にも出てくるようにホンダのスクランブラーを歌った曲です。GARY PAXTONが制作したTHE CAPTIVATIONS「Red Hot Scramblers - Go」(Pentacle 1635)同じ曲で回転数上げてるだけですけど「Red Hot Scrambler - Go!」もおそらくホンダのスクランブラーを歌った曲ですね。USHERもヴォーカルで参加してます。THE ELIMINATORSのLP、「Liverpool, Dragsters, Cycles And Surfing」でもリメイクされてます。イギリスのKRIS IFEがいたバンド、THE QUIET FIVEがFABULOUS QUIET FIVE名義でアメリカのみでリリースしたカヴァーもありますね。(Eddie)

ホンダと並ぶ日本のメーカー、ヤマハも1960年にヤマハ・インターナショナル・カンパニーをオープン。1962年の主力車種は50ccのMF1(Omaha Trail、これはカブと同じようにハンターやフイッシャーマン向けとして宣伝されています。日本名とアメリカ市場向けといちいち名前が違うので訳がわかりません。当時のADから判断したので間違っている可能性もあります。)、125ccのYA5、250ccのYD3でこれにスポーツタイプのYDS2が新車としてプッシュされていました。ヤマハは1963年のマン島T.T、250ccクラス、ダッチT.T.で2位、ベルギー・GP 250ccクラスで優勝、その性能をアピールし80ccのYG1(Rotary Jet)、YG1T(Trail)、250ccのTD1<YDS2のレース専用車>を発売します。1964年には55ccのYJ1(Riverside 55、285ドルという価格でセンタータンクのバイクが買える、という戦略でホンダCA100に対抗したものと思われます。)、125ccのYA6(Santa Barbara)を発売、1965年には映画「Monkey's Uncle」とタイアップでANNETTEとモンキーを使ったYG1 Rotary JetとYDS3C Big Bear Scramblerの広告が打たれ、サーフ/ホットロッド・ブームに参入していきます。レコードでは1965年8月、THE SPATSの「Go Go Yamaha」が発売されています。

gogoyamaha

THE SPATS//Go Go Yamaha/Have You Ever Seen Me Crying(ABC Paramount 10711)1965.8

THE SPATSはBUD、DICK、KEITHのJOHNSON兄弟を中心としたオレンジカウンティのサーフ・バンド、THE TEMPTATIONSを前身とするバンドでした。

temptations

THE TEMPTATIONS//Blue Surf/Egyptian Surf(P&L 0001)1963.6

1964年はじめ、MOTOWNから同名のブラック・グループ、THE TEMPTATIONSがヒット曲を出したためバンドはTHE DICK JOHNSON SEXTETと名前を変え、クラブ、THE CINNAMON CINDERのJACK HOFFMANとNORMAN MALKINに見いだされます。THE BEATLESの登場でブリティッシュ・スタイルを導入、19世紀のイングリッシュ・スタイルのジャケットとスパッツをユニフォームとしTHE DICK JOHNSON SEXTETという名前はジャズっぽいという理由からTHE SPATSと名前を変えます。THE SPATSは、「King Of The Surf Guitar」を書いた黒人ソングライター、ALONZO B WILLIS作の「Gator Tails And Monkey Ribs」「The Roach」を HOFFMANとMALKINEのレーベル、Enithからリリース。8月にABC-Paramountから全米発売されたシングルは強力に宣伝され、『American Bandstand』、『Shindig』、『9th Street West』などにTV出演、この曲は西海岸でローカル・ヒットし全米トップ100にもランクインします。その後2枚のシングルとアルバムをリリース後、4枚目のシングルとして8月にリリースされたのが「Go Go Yamaha」でした。「Go Go Yamaha」はHOFFMANとMALKINがGEORGE MACE/JOE RENARD名義で書いた曲で、ヤマハにコマーシャル・ソングとして売り込まれました。しかしヤマハはあまりこの曲を気に入らなかったらしく、ヤマハ・ディラーで演奏したり、プロモーション撮影をしたもののあまり強力にプッシュはされなかったようで、メンバーもヤマハのロゴが入ったスエットをもらっただけだったそうです。THE SPATSは1965年末、THE BEACH BOYSスタイルの「Weekend」をレコーディングしTVに売り込みますが採用されず、結局リリースもされませんでした。

ヤマハが気に入っていたのは「Hey Little Cobra」の作者、CAROL CONNERSで「Yum Yum Yamaha」の片面シングルがプロモーション用に制作され、ヤマハ・ディラーとラジオ局に配布されました。クレジットがなくいつ、どんなメンバーで録音されたのか不明(Produced in Hollywoodのクレジットあり)ですが、おそらくCONNERSによって書かれ、CHERYLも参加していると思われます。プロモーションで日本に行った、というCONNERSの発言もあるのですが、それもいったいいつなのか不明です。またジャケットに写っているバイクも前からのアングルなので車種が不明、(YG1Tのような気がしますが)これもどこで撮影されたのか.....。

yumyumyamaha

yumyumyamahalabel

CAROL CONNERS AND THE CYCLES//Yum Yum Yamaha(N.T.C. RJ80)1965

一番最初に「Yamaha」のタイトルがついた曲はMercury/Wingからリリースされたアルバム、「The Buddies & The Compacts」に収録されたインストでした。しかし、この「Yamaha」はもともとTHE HONDELLSの「Cycle Chase」のトラックにオーバーダブをした曲で、特にヤマハのバイクに思い入れがあって付けたタイトルとは思えません。この「The Buddies & The Compacts」はVENET-CURBの制作で、THE HONDELLSのトラックにMIKE CURBのヴォーカルをオーバーダブしただけの「Little Honda」や、THE HONDELLSと同じ「Rebel (Without A Cause)」、「The Sidewinder」と同じ「Little BSA」、THE HEYBURNERS名義でリリース済みの「Speedway」、THE HONDELLSの「The Lonely Rider」を再レコーディングした「Sickle Riders Nightmare」など1曲以外すべてリサイクルで制作されており、VENET-CURBならではの製作費をかけないというエコの観点に立った手腕が冴えたプロダクションです。なおクレジットがないのでどれだかわからないTHE COMPACTSとはCURB絡みの黒人のトリオのガール・グループの名前で「Leader Of The Pack」のカヴァー1曲のみの収録でした。

THE BUDDIES//The Buddies & The Compacts (Wing SRW 16293)1965.4

speedway

THE HEYBURNERS//Speedway/Bird Walk (Titanic 5009)1963.5
「Speedway」はTHE BUDDIES「Speedway」と同一 「Bird Walk」はTHE HONDELLS「Rip's Bike」と同一

THE GRADS//The Wild One/The Cool One (Mercury 72346)1964.10
「The Wild One」はTHE HONDELLS「The Wild One」の再録 「The Cool One」はDAVIE ALLANの「Beyond The Surf」、THE BUDDIESの「The Cool One」と同一

MIKE CURB & THE REBELAIRS//The Rebel (Without A Cause)/Carole's Rebel (Smash 1968)1964.10
THE HONDELLS「The Rebel (Without A Cause)」は「The Rebel (Without A Cause)」の再録 「Carole's Rebel 」はTHE HONDELLSの「The Lonely Rider」と同一

THE HONDELLSのセカンド・アルバムに収録されていたCURB制作の4曲「The Rebel (Without A Cause)」「The Lonely Rider」「Cycle Chase」「The Sidewinder」はCURB、DAVIE ALLEN、LARRY BROWN、BILLY STRANGE、BILL PITMAN、LARRY KNECHTELというメンバーで録音され、うち2曲はMIKE CURB AND THE REBELAIRES、THE GRADSのシングルのリサイクルでした。THE BUDDIESのセカンド・アルバムにあたる「Go Go With The Buddies」ではこの「Yamaha」は「Mean Little Monza」のバック・トラックとしてリサイクルされており、MonzaとはDUCATIのバイクですからもう日本車ですらなく、とりあえずバイクの名前を付けときゃいいか、的な小さなことには拘らないCURBの大物プロデューサーとしての適格な判断を感じます。

THE SUDELLS//Suzuki/Pow Wow (American Arts AA-12)1965.1

buddies

THE BUDDIES//Go Go With The Buddies (Wing SRW 16306)1965.4

「Go Go With The Buddies」には「Wanda On Her Honda」という曲が収録されていますが、これは1965年1月にリリースされたTHE SUDELLSのシングル、「Suzuki」のトラックに違う歌詞のヴォーカルをオーバーダブしたものでした。THE SUDELLSはおそらくTHE HONDELLSのもじりでSUZUKIのバイクをメインにしたネーミングと思われますが、制作はやはりBen-Ven Productions。コンポーザー、ディレクターとしてMIKE CURBのクレジットがあります。
さて、スズキのバイクもやはりスポーツ50/80/125/250がアメリカで販売され、それなりに知名度は上がっていました。しかし250〜350ccクラスではホンダ、ヤマハの日本車が独占状態で、本格的にスズキのバイクが評価を得るのは1966年以降、500ccのSUZUKI 500/FIVEが投入されてからになります。このバイクは1968年ウィロースプリングス12時間耐久レースで1〜3位独占の成績をあげ、500cc以上を独占していたトライアンフ/ノートンの市場を制しました。スズキのバイクが海外で評価されたきっかけは鈴木俊三氏への本田宗一郎氏の「いっしょに世界に出ましょう」との励ましでしたから、「Wanda On Her Honda」はその深い関係を示唆したリサイクルかもしれません......。 また、ROGER CHRISTIANとの共作「Iddy Biddy Buddy Rider」は8月に「You Meet The Nicest People On A Honda」としてリサイクルされTHE HONDELLSのシングルのB面として発売されています。こちらのコンポーザー・クレジットはMIKE CURB 。「Little Sidewalk Surfer/Come On (Pack It On)」(Mercury 72405)以降THE HONDELLS はVENET-CURBのプロジェクトとなり、CURB、JERRY NAYLOR、DAVIE ALLANを中心に制作、RANDY THOMAS、DICK BURNS、WAYNE EDWARDSの本来のTHE HONDELLS はレコーディングではヴォーカルで参加するのみになってしまいます。「You Meet The Nicest People On A Honda」は「Sea Cruse」のB面としてリリースされ全米131位となっただけでしたが、グレイ社にキャンペーン・コピーを使用したことで告訴すると通達を受けてしまいます。

THE HONDELLS//Sea Cruise/You Meet The Nicest People On A Honda (Mercury 72479)1965.8

MIKE CURBが日本を訪れたとき(1971)にこの曲によってホンダ・バイクの販売に貢献した、として本田宗一郎氏に面会を求めたが、事情を知っていたホンダ側に断られた、とグレイ社の社長が証言していますが、若くしてMGMの社長、カリフォルニア州副知事となるだけあって非常に政治力に富んだ人物であることがこれらのことからと伺えます。やはり大物です。ヒットを出せなかったCURBのTHE HONDELLS はUSHERが手掛けることになり、THE LOVIN’ SPOONFULのカヴァー「Younger Girl」は全米52位のスマッシュ・ヒットとなります。1966年、CURBはROGER CORMANから持ち込まれたサウンドトラック「The Wild Angels」の企画でDAVIE ALLEN AND THE ALLOWSをフィーチャー、日本製バイクに替わりハーレー/チョッパーが新しいテーマとなったのでした。ちなみにRICHIE PODOLORによれば、「Blues’ Theme」のイントロの排気音は深夜のヴェンチュラ・ブールバードで録音したPODOLOR 所有のBSAだそうで、テープ速度を遅くしてハーレーの音に聴こえるようにしたそうです。(JM)
スポンサーサイト

| THE HONDELLS | 23:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

ROGER CHRISTIAN/THE VALCANES

ROGER CHRISTIAN/THE VALCANES
P176/ロジャー・クリスチャン(ROGER CHRISTIAN)
<クリスチャンにノートを見せてもらったブライアンはすぐに〈シャット・ダ
ウン(Shut Down)〉の歌詞が頭に浮かんだ。>の解説補足


lastdrag

ROGER CHRISTIAN//The Last Drag(NBI 100)1962

ROGER CHRISTIANとBRIAN WILSONの最初の共作、<Shut Down>での413ダッジとコルベット・スティングレイの対決は、CHRISTIANが高校時代に書いたキャデラック・フィッシュテール・エイトとオールズモービル 88の対決の詩がもとになったものでした。CHRISTIANはこのオリジナルの詩のキャデラックをインパラに変え、<The Last Drag>というタイトルでモノローグ・スタイルで録音、<Shut Down>のリリース以前に発売しています。詩の後半はデッド・マンズ・カーヴなども出てきてだいぶ違いますが、前半はかなり<Shut Down>の歌詞に似ています。この曲はTONY BUTALA(THE LETTERMENのメンバー)とCHRISTIANの共作で、プロデュースはBUTALA-UNDERWOOD-TODDとクレジットされています。

bigbadhodad

ROGER CHRISTIAN//Big Bad Ho-Dad(NBI 100)1962

lorddouglas

LORD DOUGLAS BYRON AND THE CONTINENTALS//Big Bad Ho-Dad(Union 505)1962.3

A面はやはりモノローグ・スタイルの<Big Bad Hodad>でこちらはJOE SARACENOが自分のレーベル、Unionから<Here Comes The Ho-dads>に続いてリリースしたLORD DOUGLAS BYRON AND THE CONTINENTALSのカヴァーでした。<Big Bad Hodad>はTHE HOLLYWOOD ARGYLES名義で<Alley Oop>をNO.1ヒットさせたGARY PAXTONとソングライターのJOHNNY MACRAEがSARACENOと組んで制作したシングルで、こちらはPAXTONがリード・ヴォーカルをとっています。CHRISTIANヴァージョンはPAXTONがアレンジし、THE VULCAINESが演奏しています。THE VULCAINESはTONY BUTALAとBOB TODDのGoliathレコードからシングルを出していたこと、CHRISTIANとDJ/ライヴ・ショウをしばしばおこなっていたことから起用されたと思われます。またTHE MARKETTSのツアー・バンドを務めていたことからSARACENOともつながりがありました。

stompsigh

THE VULCANES//Stomp Sign(Goliath 1348)1962.12

cozimotto

THE VULCAINES//Cozimotto(Goliath 1350)1963.4

THE VULCANESはノース・ハリウッドの高校生ギタリスト、JOHN MASONを中心としたジャズ系のローカル・バンドでしたが、1961年にはロックンロールをプレイし始めます。MASONはTHE MARKETTSに参加していたベーシストのHAL BLECHと知り合い、1961年末、THE MARKETTSにリード・ギタリストとして参加。ライヴやTV出演を重ねるうちにTHE VULCANESがTHE MARKETTSの代役を務めるようになります。1962年11月、TONY BUTALAと知り合いBUTALAのプロデュースで4曲を録音。Goliathから<Stomp Sign/Public Record No.1>()がリリースされ、KFWBとKRLAでエアプレイされはじめます。4月には<Cozimotto/Last Prom>が発売され、KFWBのCHRISTIANの今週のピックアップ・ヒットに取り上げられますが、KFWBのB. MITCHELL REEDに直接電話をかけて曲を売り込んだところ、REEDの怒りを買い以降THE VULCANESのリクエストは受け付けられなくなってしまいます。その後、THE VULCANESはメンバー・チェンジを経て、THE MARKETTS、THE ROUTERS、THE SURFARISとしてライヴを続けながら、GoliathのTHE SURF BUNNIES、THE SILVERTONES、THE LEGGERRIORS、THE SEA SHELLSの録音にも参加し、6月には映画「I'll Take Sweden」にスポット出演。演奏はスタジオ・ミュージシャンによるものでしたが、これがきっかけとなり1964年、Capitolと契約。CapitolはDAVE AXELRODをプロデューサーに4曲を録音します。しかし、リリースしたレコードはヒットせず、サーフ・インストが時代遅れとなる中JACK NITZSCHEをプロデューサーにヴォーカル・ナンバーの<Poison Ivy/My Heart Won't Believe It>をリリースしますが、これらは最終的にGLEN CAMPBELL、JERRY SCHEFなどのスタジオ・ミュージシャンによって仕上げられたものでした。MASONはバンドを辞めUCLAに進学、THE VULCANESは解散し一部のメンバーはTHE BEAR FACTSというバンドでラスヴェガスで活動していましたが、レコード・リリースはないと思われます。(JM)

moonprobe

THE VULCANES//Moon Probe(Capitol 5199)1964.7

liverpool

THE VULCANES//Liverpool(Capitol 5285)1964.10

piosonivy

THE VULCANES//Poison Ivy(Capitol 5423)1965

| THE VALCANES | 12:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

THE MATADORS

P209/マタドールズ(THE MATADORS)
P420<Tony Minichiello、Manuel Sanchez、Vic Diazの3 人のヴォーカル・グループで、コルピックスからは3 枚のシングルをリリース。>の解説補足


foretanity

VICKIE DIAZ//For Eternity(Del-Fi 4149)1960

someantome

VIC DIAZ//So Mean To Me(Donna 1351)1961

JAN AND DEANの<Surf City>のヴォーカルはJAN BERRY、BRIAN WILSON、そしてファルセットを歌ったのがDEAN TORRENCEではなくTONY MINICHIELLOでした。MINICHIELLOはBERRYのユニヴァーシティ高校のクラスメイトで、同じくクラスメイトのMANUEL SANCHEZと、VICKIE DIAZ名義で<For Eternity/Your Mama Said No>、また<So Mean To Me/Mr. Moon>をリリースしていたVIC DIAZとともにTHE GENTSというヴォーカル・グループを作っており、THE GENTSはLibertyから1961年、BERRY参加の<Jump In The Line/Why Do I Love Her>(Liberty 55332)をリリースしています。

aceofhearts

THE MATADORS//Ace Of Hearts(Colpix 698)1963

ivegottadrive
lacorrida

THE MATADORS//I’ve Gotta Drive/La corrida(Colpix 718)1963

comeonletyouself

THE MATADORS//Come On Let Yourself Go Part 1(Colpix 741)1964

THE GENTSはTHE MATADORSと名前を変え、BERRYのアレンジ/プロデュースで<Ace Of Hearts/Parfidia>をリリース。<<Surf City>><<Drag City>>のアルバムでバッキング・ヴォーカルをつとめます。<<Drag City>>アルバム収録のBARRY MANN作の<I Gotta Drive>はヒット間違いなしと思われましたが、BERRYはJAN AND DEANのニュー・シングルとするには不足と考え、THE MATADORSのシングルとしてリリースします。<I’ve Gotta Drive>は<I Gotta Drive>のタイトルを変え、イントロのBERRYの語りをガールフレンドのJIL GIBSONの語りに換えただけでした。B面はメンバーがスタジオで作ったオリジナル曲<La Corrida>が収録。3枚目のシングル<Come On Let Yourself Go Part 1/ Come On Let Yourself Go Part 2>はARTIE KORNFELDとBERRYの共作で、1964年8月封切りのコロムビア映画「THE NEW INTERNS」のテーマソングとして使用されています。

gogowatusi

TONY,VIC AND MANUEL//Go Go Watusi(Reprise 0288)1964

その後、NICK VENETの紹介でマネージャーを雇い、その時にVENETのアイデアでTONY,VIC AND MANUELと名前を変え、VENETとCapitolのFRED BENSONが設立したBEN-VEN PRODUCTIONの制作で<Go Go Watusi/La La Cucaracha(The Roach) >(Reprise 0288)をリリース。<La La Cucaracha(The Roach)>はGENE & WENDELLの<The Roach(Dance) >のスペイン語ヴァージョンでした。このシングルはエアプレイされて注目されたため、すぐにBEN-VEN PRODUCTIONによりアルバム<<TONY,VIC AND MANUEL//A Go Go Hollywood Night Life>>(Reprise RS6139)が制作されます。ラ・シェネガにある小さなスタジオでレコーディングはおこなわれ、JOHNNY RIVERSのヒット・アルバムを真似てライヴ風に歓声が被せられました。しかしアルバムは売れず、TONY,VIC AND MANUELはクラブ・サーキットに活動を移します。ある晩、酔った男にTVショウのパイロット・フィルムに出ないかと誘われ、1964年12月24日からスタートしたチャンネル9の「9th Street A Go-Go」(4回目から「Hollywood A Go-Go」にタイトル変更)という1時間のTV音楽番組に出演することになります。TONY,VIC AND MANUELはTHE SINNERSと名を変えて番組のハウスバンドとなり1966年2月の番組終了までレギュラー出演しました。1965年にはMercuryからTHE SINNERS<You Don’t Love Me/I Like The Look Of You>(Mercury 72388)、<A Change/Goin’ Out Of my Mind>(Mercury 72453)をリリースしています。(JM)

berakup

THE DORIES//Breakup/Stompin'-Sh-Boom(Dore 629)1962

JAN AND DEANのリリースをしていたDore レコードからTHE DORIESという名義のシングルが1958年から528、556、629と出ていて、聴くと同じグループとは思えないんだけど、中でもJAN AND DEANライクな出来の<Breakup>のレーベルを改めて見たら案の定 作者にDIAZの文字が......GOLDENBERGってARNIE GINSBERGかも?。プロデューサーはKIM FOWLY。DoreのTHE DORIESとやたら出てるTHE ZANIESについてはいずれDIGせざるを得ないですね。(Eddie)

| THE MATADORS | 11:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

THE HIT PACK

P209/ヒット・パック(THE HIT PACK)
P420<〈Summer Fever / Mister Big Wheels〉(Colpix 745)が1964 年にリリースされている。>の解説補足


hitpack

THE HIT PACK//Summer Fever(Colpix 945)1964.7

このシングルはSummer Fever/Mr. Big Wheelsの両面ともスクリーン・ジェムスのライター、ARTIE KORNFELDがBOB STAUNTON、BOB WALKERと共作、共同プロデュースしておりTHE HIT PACKはこの3人によるグループ名と思われます。SOULから1965年にリリースされたTHE HIT PACKはSTAUNTON - WALKER作なのでこの2人のプロジェクトがTHE HIT PACKと考えてよいと思われますが、こちらはTHE ARTISTICSに加入するROBERT DOBYNEがリード・ヴォーカルをとっており、このチームの1964年末からのMotownでのソング・ライティングの一環と位置づけられると思います。KORNFELDはJAN AND DEANの「Drag Strip Girl」「Hot Stocker」、そして「Dead Man’s Curve」の共作をしたほか、ホットロッドものではSUSAN LYNNE「Don’t Drag No More」、BERNADETTE CASTRO「Sports Car Sally」のコンポーザーとしてクレジットされています。またJAN BERRYとの共作ではTHE ANGELS「I Idore Him」があり、1965年のSTEVE DUBOFFとのデュオ、THE CHANGIN’ TIMESで「The Pied Piper」、「How Is The Air Up There」、DUBOFF との共作でTHE COWSILLS「The Rain, The Park & Other Things」のヒットを出した後、ウッドストック・フェスティヴァルのプロモーターとして知られるようになりました。(JM)

hitpack2

THE HIT PACK//Never Say No To Your Baby(Soul S35010)1965

dontdragnomore

SUSAN LYNNE//Don’t Drag No More(Capitol 5201)1964.6

sportcarsally

BERNADETTE CASTRO//Sports Car Sally(Colpix 747)1964.7

| THE HIT PACK | 11:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

>> EDIT

THE FOUR SPEEDS/THE PENDELTONS

P178/フォー・スピーズ(THE FOUR SPEEDS)/THE PENDELTONS
P425<フォー・スピーズの〈R.P.M. / My Sting Ray〉は未発表の曲〈Barefoot Adventure〉とともに1962 年12月12日にウエスタン・レコーダーズで録音。>の解説補足


STEPHEN J McPARLANDの「The California Sound An Insider's Story」にはBRIAN WILSONが<R.P.M.>のセッションに来て<R.P.M.>のバックグラウンド・ヴォーカルに貢献した、との記述がありますが、ほかの2曲についてのBRIAN WILSONの記述はありませんでした。<R.P.M.>セッションに参加したDICK BURNSはTHE INDIGOSというカレッジ・サーキットで演奏していたバンドのメンバーでUSHERの友人でした。
NICK VENETはGOLDSTEIN/FELDMAN/GOTTEHRER作の<C.C. Cinder>という曲がヒットする、と考えTHE BEACH BOYSに録音させたがっていましたが、BRIAN WILSONが拒否したためUSHERが録音することになり、DICK BURNSとTHE INDIGOSが起用されました。<C.C. Cinder>のレコーディングはGARY USHER(rhythm g)、DICK BURNS(lead vocal,b)、そしてドラマーのWAYNE EDWARDSがうまく叩けなかったためRANDY THOMAS(organ)がドラムもプレイしておこなわれました。

rpm

THE FOUR SPEEDS//R.P.M.(Challenge 9187)1963.2

chugalug

THE SUNSETS//The Chug-A-Lug(Challenge 9186)1963.2

その後すぐにおこなわれたのが<R.P.M.>セッションで、THE INDIGOSはFRANK FAYAD(後にLOVEに参加)に替わってDENNIS McCARTHY(key)、DICK BURNS、WAINE EDWARDS(d)、LES WELSER(sax)というラインナップになっており、WELSERはサックスの出番はなく、DENNIS WILSONがドラムをプレイしたためEDWARDSの出番もありませんでした。1963年2月にこれらのシングルがリリースされたとき、はカーソングではなく、また違うグループ名でリリースしたほうがヒットの可能性がひろがるとの理由からTHE FOUR SPEEDSではなくTHE SUNSETS名義になっています。<C.C. Cinder>のB面曲<The Chug-A-Lug>はやはり1962年12月にGARY USHER(rhythm g)、DICK BURNS(lead vocal,b)、RANDY THOMAS(organ)、LES WELSER(sax)で録音されています。USHERいわく"One of the worst records we did."だそうです。
<R.P.M.>セッションで使用されなかった<Barefoot Adventure>は<Hot Pastrami>をヒットさせていたオックスナードのインスト・グループ、THE DARTELLSのレコーディングでリサイクルされます。THE DARTELLSのマネージャー、TOM AYRESは<Hot Pastrami>とは違ったスタイルでサーフ・ブームにアプローチするため、バンド名をTHE PENDELTONSとし、GARY USHER/MIKE BORCHETTA作の<Board Party>をUSHER/AYRESのプロデュースで録音します。しかし2曲分のレコーディング費用がなかったため未使用だったTHE FOUR SPEEDSの<Barefoot Adventure>のヴォーカルをUSHERが入れ替えてB面曲とします。1963年の10月にはTHE DARTELLSはUSHER作の<Sweet Pea>をTOM AYRESのプロデュースでリリースしています。
THE PENDELTONSの名前は用語解説のペンドルトンの項に書いたように、サーファー/ホットロッダーに大人気のウール・シャツから安易に付けられたバンド名なのですが、THE BEACH BOYSの前身はTHE PENDELTONES、それとはまた別にRENDEZVOUS RECORDSから<The Waddle/Itchy Bon Mash>をリリースしたTHE PENDLETONSがあります。よく見ると全部違うバンド名です。ちなみにシャツのブランドはPENDLETONです。(JM)

boardparty
barefoot

THE PENDELTONS//Board Party/Barefoot Adventure(Dot45-16511)1963.7

itchybonmash

THE PENDLETONS//Itchy Bon Mash(Rendezvous R-194-2)1962

hotpastorami

THE DARTELLS//Hot Pastrami!(Dot DLP 25522)1962

THE SUNSETS3枚目のシングルMy Little Surfin' Woodie/My Little Beach Bunny
は傑曲なのだがこれまで何十枚もFor Saleを見てきたがDJコピーばかりで レギュラー盤を見たことがない。
はたしてレギュラー盤は存在するのか・・・(Eddie)

woodie

bunny

THE SUNSETS//My Little Surfin' Woodie/My Little Beach Bunny(Challenge 9208)



ついでに
P428<The Majorettes というガール・グループが1964 年、〈White Levis' Tennis Shoes ‒ Surfin Hat And Big Plaid Pendleton Shirt〉という曲をリリース>
こちらがそのシングル。

whitelevis

whitelevisLabel

THE MAJORETTES//White Levi's "Tennis Shoes - Surfin Hat And Big Plaid Pendleton Shirt"(Troy 1000)1964

竹内 義彦様(!!!)よりTHE MAJORETTESについての以下詳しい情報をいただきました。ありがとうございます!!!(JM)

このグループはEddie Cochran他に多くのヒット曲を書いてるロスの顔役George Motolaの奥さんでソングライター兼スーパーセッションシンガーのRicky Pageとその娘達のグループです。また彼女達はThe BermudasやBeverly and the Motorscooters他の多くの変名でもシングルをリリースしてます。Ricky PageはJack Nitzscheの当時の奥さんのGarcia Nitzscheと同様にPhil SpectorのガールグループBlossoms他の録音にもセッションシンガーとして参加しており彼女自身も多くの変名でリリースしています。旦那のGeorge Motolaが当時Richard Delvyと共同でVault Recordsを設立したJohn Marascalcoを共作パートナーにしていた関係でそれら良質なガールポップをリリースしています。またRicky Pageはその後Nashvilleでもセッションシンガーとして活動し、Buzz CasonやBergen WhiteらRonny & The Daytonasの中核達とも作業しています。

| THE FOUR SPEEDS | 17:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT >>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。